2024/04/07
『綸言 汗の如し(りんげん あせの ごとし』という言葉があります。
身体から出た汗が体内にもどることがないのと同じで,天子がいったん発した言葉〔綸言〕は取り消したり訂正したりすることができない という意味の言葉です。
天子とは もともと天命を受けて天下を治める者という意味で,中華の支配者・皇帝のこと。「綸言汗の如し」は,そういう責任のある立場の者が一度 口から出した言葉は取り消しや訂正ができないという戒めの言葉です。(皇帝が命令を簡単に取り消したら混乱や権威の低下を招くことになる)
天子だけでなく庶民だって一度 口から出た言葉は取り消すのは難しい。だから発言には気を付けないといけないない。私の場合は 子どもを相手にする仕事に就いているので特にそう思います。
口から出た音は コトバ とよばれ言葉と文字で書く。この文字のように 口から出たものが”葉”だとすれば”根”はどこにあるのだろう。たぶん”根”のある場所は心ですかね。
根っこがあって葉っぱがある。それと同様に心があって言葉がある。いつも心に思っていることが言葉として外に出る。
相手の口から出た言葉を聞いた人は,言葉そのものに反応しているのではない・・・と思います。葉っぱという見えるものを見て,たぶん根はこうなっているのだろう と想像するのだと思います。
言葉を聴いて感動したり怒ったりするのは,その言葉の後ろにある その人の心を想像しているからだと思います。
世の中のほとんどの人は聖人君子(非の打ち所がない性格で,知識や高い”知性”を持ち教養に優れた人物)ではありません。だから,時にはマイナスの内容が心の中に浮かぶこともあります。私もそうです。心のなかに気持ちが浮かぶのは仕方がありません。その気持ちを否定しようとするとさらにその気持ちが浮かんでしまうということになりがちです。そんなときには相手への敬意を思い浮かべ,マイナスの気持ちを中和する。
いろいろと忙しくて大変な中,塾に通って頑張っている生徒の皆さんへの敬意。塾に通わせてくれている保護者の皆さまへの敬意。
仕事柄,”結果”を求められていますので,もしかしたら時には言葉が強くなってしまい,自分自身が発した言葉が他人を怒らせたり傷つけたりすることがあるかもしれません。
ただ,相手への敬意を忘れなければ,中らずと雖も遠からず(あたらず と いえども とおからず=的中はしていないが的から大きく外れてはいない状態)だと思っています。自分の言った言葉が”正解”ではなくとも”正解”から大きく外れることはないと思っています。
「人の振り見て我が振り直せ」(他人の言動を見て感じるところがあったら 我が身を振り返り 改めるべきところを改めなさい)という言葉を思い出してこのようなことを書きました。ある特定の具体的な事例に関して何かを言いたいわけではありません。あくまで一般論です。
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