2023/11/18
木曜日に期末テストが終了して昨日から少しずつ結果が出てきています。中1Aクラスと中2Sクラスは授業のときに点数を聞きました。
自主勉に来ていた中3生にも返却された科目の点数を書いてもらいました。
ある生徒の社会の結果を見て,その生徒に向けてガッツポーズ。
その後,トイレ前の洗面所で声をかけました。
「僕の記憶が確かなら,社会の点数,過去最高点ですよね,地道に頑張ってたもんね,よかったねぇ,チョーうれしい。」
目に涙を浮かべてた。
”生徒が”ではありません。 ”私が” です。
言った後で自分自身にツッコミを入れていた。
心の中の声
お前は自分を何歳だと思っているのだ?(あと数日でもう1歳 老いる,あ~イヤダイヤダ。石油危機=老いるショック)
その年齢で”チョーうれしい”という言葉の使い方はないだろう,恥ずかしい。
しかもお前は国語も担当しているだろう,それなのにこの言葉遣いは恥ずかしくないのか?
北浜校に通ってくれている中1~中3の全員の定期テストの私の担当科目のテストの点数は頭の中に入っている。(⬅わざと ”の” を増やして書いた文)。もちろん多少の誤差はあるけれど。
覚えているのは記憶力がいいというわけではなく,生徒のテストの点数は私自身の”うれしさ”や”くやしさ”の記憶だから。
入試に大切な中3の2学期のテストで,この生徒が3年間の中で最高点を取れたことがうれしい。
結果はもちろん大切だけれど,私はこの生徒の”過程”を知っている。どれだけ頑張っていたかを観察して知っている。
毎日 自主勉に来ていた。
自主勉に来て黙々と問題を解いていた。できていなかった問題をノートに解き直しをしていた。
典型的な記述問題(テストに出やすいと授業中に話したもの)をノートに書き,その答えを書けるかどうか自分でチェックしていた。そういう工夫をしていた。
2進法の世界 大田|北浜校BLOG|桐光学院 (tokogakuin.com)⬅ここにも書きましたけれど,結果は大切です。私どもに求められているのは それ ですから。そのことは十分承知しています。けれども”過程”も重要。その”過程”を見ているから,知っているからチョーうれしいんです。
生徒が年齢を重ねて30歳,40歳,そして私と同じ年齢になるころには,中3の2学期の期末テストの社会の点数が何点だったのかなんて覚えちゃいないでしょう。そんなものは普通は忘れる。自分にとって,もっともっと大切な物や人ができるでしょうから。
ただ,”過程”は残る。あまり得意ではなかった科目を,地道に丁寧に泥臭く頑張って自分で工夫して乗り切って過去最高点という”結果”を出したその”過程”は残る。
その経験はこれからの人生で何かを成し遂げるときのベースになるかもしれない。困難を乗り切る時の支えになるかもしれない。そういうとても大切な経験をした。その経験を私は共有できた。だからチョーうれしいんです。
今の中3生が私と同じ年齢になるころ,平均寿命から考えて,私はたぶん”いない”。それでも,生徒の中には今回の大切な経験は残る。だからチョーうれしい。
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