2026/03/01
子どものころに『白い巨塔(しろい きょとう)』というテレビドラマが放映されていた。親がそのドラマを見ていたので一緒に見ていた。大学の医学部に関する小説を原作とするドラマ。
小学校低学年のボクには内容が難しかったし,そもそもドラマの放映時間にはもう眠くなっていたので,内容なんて覚えちゃあいない。
そのドラマが2000年代の初め,つまり今から20年ちょっと前にリメイクされた。録画して見た。印象に残るセリフがいくつかある。
ネタバレになるといけないので,詳しくは書かないけれど,登場人物(医学部の助教授)のセリフにこんなのがある。
「診察する場を失って身に染(し)みました。私は患者を救っていたのではなく,患者によって救われていたのだと」
これを見た当時(約20年前)には,別になんとも思わなかったこのセリフが,今ではホントに”身に染みる”。痛いほどよく分かる。共感しかない。
ボクは生徒によって救われている(た)。だから,あと2回しか会えないので,受験生に言いたい。
ありがとう。〔直接 言えばいいじゃないか と思うかもしれないけれど,直接 言ったら目がゲリラ豪雨〕
じゃあ,仕事をしていく中で救われるとはどういうことなのか?
ボクが知っている”仕事”を表すドイツ語の単語は3つある。
1つはjob。これは英単語にもあるよね。
次にarbeit(アルバイト)。アルバイトってドイツ語だったんだ。ただ,ドイツ語では仕事全般をarbeitというらしい。
そして,3つ目がberuf(ベルーフ)。ドイツ語で「あなたのご職業はなんですか?」と聞くときには,このberufを使う。ドイツで宗教改革を行ったルターが,聖書をドイツ語に訳すとき,「神から与えられた使命・神からの呼びかけ」という意味でberufを使ったらしい。日本語では天職〔天から授かった職業・その人の天性や生まれつきの性質に最もふさわしい職業〕と訳されることがある。
上に書いたドラマの登場人物にとって,患者さんを診察することはベルーフ(使命)だったのだと思う。使命を全(まっと)うしようと努力する日々は何にも代(か)えがたい。充実している。他人様の役に立てているという実感。だから,患者さんを診察することで救われていたのは自分自身なのだと感じたんじゃないかな。
ボクの場合は,生徒の勉強のサポートをすることが自分のベルーフなんじゃあないかと,何年か前から感じるようになった。もちろん,うまくいかないことがあった日には,ベルーフだと思ったのは,ただの勘違いだったんじゃあないかと思うことはあるよ,人間だもの。ただ,授業をしたり,質問に答えたりする中で,自分は生徒によって救われている という気持ちが強くなったのは事実。
だから,もう一回書くけれど,
ありがとう。
まだ受験まで日数はあります。私自身のベルーフ(使命)を完了させるために,全力を尽くします。
そして,今まで頑張ってきた受験生の皆さんの努力と実力とを信じています。だから,受験当日は2つのことだけを祈ることにします。
1つは,いつも通りの力が出せますようにということ。いつもの力が出せれば絶対に合格(うか)ります。大丈夫です。みんな,それだけのことをやってきたもんね。
祈ることの2つ目。
もしも皆さんが困難に直面したときに,途中で投げ出すことなくココ(北浜校)で頑張れたことを思い出し,困難を乗り越えた先に見つけられますように。皆さんそれぞれのberuf(ベルーフ)というものをね。
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