2025/11/19
私が中学生だったころと比べると,近年は,暗記することよりも”考えること”に比重が置かれているように感じます。
そのこと自体はよいことだと思いますが,極端から極端へ移りすぎているんじゃないかと感じることがあります。
知識偏重で,そんな細かいことを誰が知っとるのやというような知識を問うたり,社会のテストなのかクイズなのかわからないような問題が出題されたりするのは1つの極端。
また逆に,自分で調べましょう,考えましょう,意見を言いましょう,グループ学習をしましょう,ということばかりを重視して,覚えること/覚えさせることを軽く見て,覚えることを生徒に丸投げするのも1つの極端だと私は思います。
「覚えなさい」で終わるんじゃあなくて,手取り足取り 覚え方のアドバイスやトレーニングをしていかないといけません,
「どうやったら生徒にイメージが伝わるだろう」ということを常に念頭に置いて授業をしています。例えば,”中央集権”という言葉がありますが,”中央政府に権限や財源が集中する体制”と中学生に伝わりますかね?
この説明でうんうんなるほど,とイメージが湧く生徒も中にはいるかもしれませんが,たぶん,ほとんどの生徒は無理でしょう。
だから,どういう例を出したら,どういう図を書いたら,どういう言葉を使ったら,生徒にイメージが伝わるのか,いつも頭を悩ませています。無い知恵を絞って考えています。本を読んだり動画を見たりして,参考になるものはないか探しています。
そして,イメージが伝わったらそれで終わりかというとそうではありません。イメージが湧いた,わかった,理解できた(と生徒が思った)としても,それで記憶が定着するかというと必ずしもそうではありません。
わかった(と思ったこと)を繰り返し繰り返し地道に振り返って覚えていくしか,記憶を定着させる方法はないと思っています。
そんなこたぁ言われんでもわかってる,と思う人もいるかもしれませんが,放っておいたらほとんどの人はやらない。
多くの人間は,地味で地道な作業をコツコツと継続していくことは苦手です。疲れるし,面倒くさいし。
負荷のかかることを自分自身に課し,それを継続していくのには,相当高い自己制御能力が要る。
また,覚えるためには,具体的に何をどうやったらいいのか(どういう負荷を自分にかけていくのか),ということを生まれつき身につけている人はいない。
誰かにアドバイスをもらったり,自分で工夫をしたりして,実際にやってみて,ときには失敗して,微調整して,そいういうことを繰り返す中で,自分なりの覚える方法を確立していくのだと思います。少なくとも私自身はそうやって”自分なりの(自分向きの)覚える方法”を身につけていきました。
覚えることをルーティンにするために,中3生に対しては夏以降,社会に関して”塾に来たら必ずやること”を指示しました。
それを,中1や中2向けに作り直して使ったらいいかも,と考えて作成し,一部のクラスではその指示をしました。

中1生や中2生には勉強するためのネタ・理由が必要です。
ネタ(期日が差し迫っているテスト)がなくても勉強するのが本当の勉強だ!という考えに対して『あえて言おう! そんなのはただの理想論であると!』(機動戦士ガンダム第42話 ギレン・ザビの演説より。北浜校があるのはア・バオア・クーじゃなくて,ハ・マナ・クーだけど)。こっちの注文通りに相手が動いてくれるなんてことはめったにありませんから。
中1生・中2生には,1月の県学力調査というネタがあります。また,12月には桐光模試というネタがあります。そのネタに向けて,覚えることをルーティン化することを進めていきます。
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