2023/05/11
自宅のパソコン内の写真を整理していたら,約10年前の旅行(ゴールデンウイーク中)の写真が出てきました。
この写真を見て思いつきました。これは,全学年のテスト範囲と関係があるぞぉ~と。(ちょっとこじつけのような気がしますけれど)
この場所は和歌山県新宮(しんぐう)市の駅の近く。徐福(じょふく)公園。この像は徐福の像。
念のため申しますと,徐福像は写真の向かって右側です。
例年,1学期の期末テストでは「文明」が範囲に入ることが多いです。
紀元前3世紀に,中国を統一した秦の始皇帝は,各地で異なっていた貨幣や文字,物差しやはかりを統一した。これまでの「王」よりも上の立場である「皇帝」の呼び名を使い始めた。
ということが教科書に書いてあります。とても重要。テストに出やすいですよ。
それが和歌山となんか関係あんの?
あります。
中国全体を初めて統一した始皇帝。せっかく得た絶大な権力。
その権力をずっと維持するために不老不死(永久に若く死なないこと)を求めます。
「なんとかしろ!」と始皇帝は家来や周囲の人に命令をしますけれど,そんな命令を実行することは不可能です。
そこに徐福(じょふく・写真の右側の像)という人物が出てきます。「船を用意してくれれば不老不死の薬を取ってきますよ」という感じで。そして始皇帝から多くの資金や物資をもらって船で出かけていきました。
船で中国を出発した徐福がたどりついた場所。それが,ここ,つまり和歌山県の新宮市だという伝説があります。だから新宮駅の近くに徐福像があるわけです。
中2は室町時代。(学校の進度によっては範囲から外れることもあります)
明から「日本国王」に任命された足利義満は,朝貢形式による日明貿易を始めた。正式な貿易船には,明から勘合が与えられたので勘合貿易ともいう。明は,朝貢の条件として倭寇の取り締まりを要求した。
ということが教科書に書かれています。とても重要。室町時代がテスト範囲になったら必ず暗記。
それとなんか関係あんの?
あります。
明の初代皇帝が日本の禅宗のお坊さんと会談しました。
皇帝「『日本』で思い出したのだけれど,秦の始皇帝が派遣した徐福って日本にたどり着いたという話があるよねぇ。ということで「徐福」を題材にして詩を作ってみてちょうだい」
そのお坊さんは見事な漢詩(徐福のことを詠みながら遠回しに明の皇帝を褒めるという内容)を作り,それにこたえる形で明の皇帝も見事な漢詩(徐福のことを詠みながら遠回しに日本のことを褒めるという内容)を作ったそうな。
明の初代皇帝のときには,いろいろと「手違い」があって室町幕府との貿易は始まりませんでした。けれども明の3代皇帝のときに正式な貿易が始まりました。
ちなみにこのときの室町幕府の将軍も3代目。南北朝ヨシ!勘合ヨシ!金閣ヨシ! ヨシが3つで義満。
1886年。ノルマントン号事件⇒領事裁判権の廃止を求める世論が高まる
ということが教科書のp190からp191にかけて書いてあります。このノルマントン号事件が起こったのが和歌山県沖。現在の和歌山県の串本町。このときの旅は串本町が最終目的地でした。
ノルマントン号事件の4年後,1890年に,ノルマントン号とほぼ同じ場所で船が遭難。遭難したのはトルコ〔オスマン帝国〕の軍艦。その船の名前はエルトゥールル号。遭難した人々を付近の住民が必死で助けたという出来事から1974年に『トルコ記念館』が作られました。
このときの私の旅は,串本町の『トルコ記念館』に行くのが目的でした。
教科書のp191の上の部分に『エルトゥールル号のきずな』ということで日本とトルコの交流について書いてあります。
塾の授業で話したいのですが,授業の時間は限られていますので話していません。
だから読んでみてください。この話は読んで損はありません。テストにはたぶん出んけど教科書の中で私が最も読んでほしい部分の1つ。
Copyright(C) 桐光学院. All rights reserved.