北浜校ブログ

2023/05/04

私からの提案(勉強法) 大田

なかなか頭に入っていかない

4月の終わりに約5000円使って本を買いました。お金を無駄にしないように読んでいます。

本代>1週間分の食費

なかなか頭の中に入っていかない!

年齢のせいにはしたくありません。何か工夫はないものだろうか?と考えてみました。

工夫のヒントは古典にありました。

論語に書いてありました

『論語』にヒントが書いてありました。論語は今から約2500年前の中国の春秋時代の末に書かれた書物です。孔子とその弟子の言行がまとめられています。

中3の国語の教科書にもその一部が掲載されています。

そこ(中3の国語の教科書)に書いてありました,ヒントが。

学びて時に之を習う。また説(よろこ)ばしからずや。

学んだことを,時に応じて反復し,理解を深める,これもまた よろこばしいことではないか。

ふむふむなるほど,ということでノートを2冊用意しました。

メモ用ノートと復元用ノート。

メモ用ノート

1冊目のノートは何が書いてあったのかを読んだ時に軽~くメモをするためのノートです。

例えば,人名や地名が出てきた時に,「たしか○○だったよな」ではなくて,念のため辞書や地図帳,パソコン検索で確認し,それをメモする。

知らないことがでてきたら調べて簡単にメモする。(あとで自分が見直すだけで他人に見せるものではないので,だいたいでかまわない)

流れ(年号・年表など)をメモする。つながり(人物関係など)をメモする。

そして,その日の最後にこのメモを見直し,今日 読んだところに何が書いてあったのかを頭に思い浮かべる。

するするっと読んでいくと記憶に残りにくいです。だから,確認・調べる⇒メモ という作業を通して,頭の中に引っ掛かりのようなものを作る。そのためのノートです。

するっとやったものは頭に残りにくいですが,何度かひっかかった(抵抗があった)ものは記憶に残りやすいです。

復元用ノート

学びて時に之を習う(学んだことを,時に応じて反復し,理解を深める)という論語の教えを活用。

復元するためのノートというのは,昨日メモしたことを,何も見ない状態でどれだけ書けるかチェックするためのノートです。

何が書いてあったのかどれだけ覚えているのかを次の日に軽~く復元するためのノート。

人間の頭はコピー機とは違いますから,メモの内容を完全にコピーしようだなんて考えていません。

昨日のメモをもう一度見て,何が書いてあったのかを思い起こし,メモを隠してから復元用ノートにメモの内容を復元します。

私個人の感想としては,「読むだけ」の読書と比べると,内容が頭に残りやすいですね。

勉強に取り入れられたらどうです?

ここまで記事を書いてきたのは,こういうことを勉強に取り入れたらどうでしょう?と提案するためです。

ノートを2冊用意する。

1冊目は問題演習等で自分がひっかかったところをメモする。調べて得たこと,質問してわかったことをメモする。

そして,その日の終わりに「今日はこういうことを勉強したよね」とメモを見て振り返る。

その日の勉強のスタート時に,メモ用ノートの前日部分を見直す。昨日やったことを想起する。そして,そのメモを隠し,どれだけ復元できるのかを2冊目のノートでチェック。

という方法を提案します。細かいやり方については自分で好きにアレンジしてください。

トンネルを掘る時に,掘り進めていったはいいけれど掘った部分が崩れてきていたら全く意味がないのと同じで,過去にやったところが崩れてきたら何の意味もありません。だから固めながら進んでいきましょう ということを私は言いたいわけです。

これも論語から

之を知る者は之を好む者に如かず。之を好む者は之を楽しむ者に如かず。

之(これ)を知っているだけの人は,之(これ)を好きだという人にはかなわない。之(これ)を好きだというだけの人は,之(これ)を楽しんでいる人にはかなわない。

たしか,この章句も教科書に載っていたような。

何事も,最初から「楽しい」わけではないですよね。マンガでもドラマでも映画でもゲームでも,いきなり楽しいだなんてことはないと思います。

ゲームは慣れなければ楽しめませんし,マンガやドラマ,映画は人間関係や状況を理解してから出ないとワクワクできないです。(例えば,物語の中で,どうしてAさんがBさんにリベンジしようとしているのかわからなかったら感情移入できません。)

めんどうくさいなぁという最初の部分を我慢して乗り越えることで,ゲームも映画もドラマもマンガも楽しむことができます。勉強もそれと同じではないでしょうか。

そして,『論語』によると 楽しめる人が最強 だそうです。(もしそうでなかったら牧場に行って「あなたの言ってたことと現実が違ってましたよ」とでも言ってください。そこにいるのは孔子ではなくて子牛・・・)

めんどうなことを乗り越えた楽しさ

私は学生ではないので勉強のノルマもありません。最近買った本の中からテストが出題され,そのテストである程度の点数が取れないとヤバいことになるわけでもありません。

昨日読んだことをほとんど覚えていなかったりすると「本当に頭 悪いなぁ,自分」と自己嫌悪におちいってしまうこともある。

じゃあ,なんで本なんて読んでんだよぉ!

その理由は2つ。

1つ目。めんどうなことを乗り越えた後に楽しさや喜びがあるから。例えば,本を読むことによって,今まで無関係だったと思っていた○○と△△が,実はつながっているんだ と知ることができ,知的好奇心が満たされる楽しさ,嬉しさ。

多くの場合,instantな楽しさというものは,あまり役に立たない。苦労した後の楽しさのほうが身になる。

2つ目。教える側が,現在進行形で身をもって学ぶ楽しさを体験していないと,それ(学ぶ楽しさ・めんどうなことを乗り越えた後の楽しさ)が生徒の皆さんに伝わらないんじゃないかと思うから。教える側が「勉強楽しいオーラ」を出していたら生徒もいい影響をうけるのではないか,という意味です。

そして何度も書きますけれど,論語の章句にもあるように,楽しんでいる人が最強ですからね。

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