北浜校ブログ

2025/04/05

桜の花   大田

毎日のように通る道

桐光学院の本部は南区にあります。教師全員が本部に出勤して,全体での業務を行い,それから各校舎に向かっています。どの道を通るのかという選択を間違うと,本部から北浜校に行くのに非常に時間がかかってしまいます。

基本的に堤防道路を使えば間違いはない。天竜川の堤防から八幡川の堤防道路に入り,それから北浜校に向かうのが,たぶん最も速く着ける。自宅のある磐田に帰るときもその道を使う。

もう何年も同じことをしています。そして,この時期になると八幡川の堤防道路の美しい桜並木を見て,毎年同じことが頭に思い浮かびます。

思い浮かぶこと①

思い浮かぶことの1つ目は,桜がそこにあるということは,誰かがそれを植えたのだということです。

誰がどんな気持ちや考えで植えたのかはわかりませんが,植えた誰かは確かに存在します。その人(たち)のおかげで,私たちは桜の花を観て楽しむことができます。

そして,北浜校には,ありがたいことにたくさんの生徒が来てくれている。その生徒一人ひとりの後ろには保護者の方がいらっしゃる。どんな思いでここまでお子さんを育ててきたのかは,想像でしかわかりません。わかりませんが,とにかく”思い”はある。その思いを無にすることがないように生徒の皆さんに接していかないといけないと,桜を観ながら考えています。

思い浮かぶこと②

思い浮かぶことのもう一つは,非常に有名な漢詩の一節です。(そういえば,ある高校の新入生向けの宿題になっていたなぁ,この漢詩の一節は)

年年歳歳 花相似たり(ねんねんさいさい はなあいにたり)

歳歳年年 人同じからず(さいさいねんねん ひとおなじからず)

毎年のように花は咲くけれど,それを見る人は同じではない という意味です。

自然は永遠に続くけれど,人間は限られた時間しか許されていない ということを言いたいようです。

受験までの時間は限られていますので,毎回毎回の授業を大切にしなければならないなぁという思いが浮かびます。

また,校舎は毎年同じだけれど,通ってくれる生徒は毎年変わる。だから,毎年同じことをしていればいいというわけではなく,来てくれる生徒に合わせて,変えるべきところは変えていくべきだという思いも浮かびます。

授業が終わったあとには,そんなことを思いながら,桜を観て帰宅しています。

蛇足(どうでもいい話)

で,帰宅しても誰も家にはいない。賃貸に住んでいるので猫も飼えない。帰宅する楽しみを作らなきゃということで,部屋の模様替え。”桜”を取り入れてみました。(自分の年齢を考えたほうがいいと思うが・・・)

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