2023/04/27
29日の土曜日から塾は休み。ゴールデンウイークです。
そういえば小6のゴールデンウイーク中に友達と旅に出かけたっけなぁと思い出しました。
その友達は,今風にいうと「鉄オタ」。何という列車なのかは忘れましたが,その列車に乗って九州の親戚のところまで行く予定なんだけど一緒に行かないか?と誘われた。
お年玉貯金を全部おろして列車の予約をして友達についていきました。
友達の親戚の家に2,3日泊めてもらいました。
一日目は楽しくて仕方がなかった。二日目あたりからホームシックに。はやくおうちに帰りたいという感じ。
その家の方々がとってもよくしてくださったのは今でも覚えています。けれども,知らない方の家にずっといると遠慮をしてしまいます。
自宅なら御飯のおかわりを何杯もできますが,他人の家でそれをやるのにはさすがに気が引ける。
帰る予定の日のこと。その家のおばあさんから声をかけられました。
「この街に来たのだから,絶対に見ていってほしい場所がある」とのこと。
はやくおうちに帰りたい という気持ちが強かったのですが,お世話になった方に対して失礼があってはいけません,ついて行きました。
江戸時代に郷土の偉人が開いた塾の跡地へ。歩いて行くとけっこうな距離。もう歩きたくないという気持ちでいっぱいでした。
せっかくいろいろと説明してくださっているのに口から出るのは生返事。心ここにあらずという感じでした。
当時は小6でしたから仕方がありません。けれども,今 考えるともっと真剣に話を聞いておけばよかったなぁ,めったにいける距離ではないですし。
後で調べてわかったことです。
郷土の偉人とは,広瀬淡窓(ひろせ たんそう)という江戸時代の儒学者,教育者。現在の大分県日田市の人。
1805年(江戸時代)に私塾を開きます。この塾は淡窓が亡くなった後も以降10代の塾長によって運営され,1897年まで(明治時代・日清戦争後までだとぉ!)存続した。
塾生は全国各地から集まりました。塾生ののべ人数は何と4000人超,当時の日本最大級の私塾。
有名な塾生を調べたらこれもすごい。
例えば,中学の歴史の教科書に載っている人だと高野長英(教科書p160 蛮社の獄)。高校の日本史で習う人なら大村益次郎(戊辰戦争の参謀,日本陸軍の基礎を築く)とか清浦圭吾(きようら・けいご 第23代内閣総理大臣)とか,すごいメンバーがこの塾で学んだらしい。
説明をしっかり聞いておけばよかったなぁ~。
話は変わって,1か月ほど前に卒塾生(新高1生)が,「漢文や漢詩の有名な一節を数十個覚えてくるのが春休みの宿題になっています」と言ってました。
その宿題をチラッと見せてもらったら「休道他郷多苦辛」の句がありました。
「この句は広瀬淡窓という人の『桂林荘雑詠示諸生』という有名な詩の一節ですねぇ」と国語の教師っぽいことを言っときました。
その漢詩はこんな意味。言うのはやめなさい。他郷での勉強は苦しいと。一緒に勉強をして自然と仲良くなった友達がいるじゃないか。冬の早朝に塾の戸を開けて外に出ると霜が雪のように降っている。さあ!朝食の準備だ!君は川の水を汲んできなさい,私はたきぎを拾ってくるよ。
全国各地から生徒が集まるので,ここの塾は全寮制。最初は桂林荘(けいりんそう)という名前だったが,のちに咸宜園(かんぎえん)という塾名になった。儒学だけでなく数学や天文学,医学の講義まであった。毎月一回試験があった。その結果によって,なんと九段階のレベル分けがあったらしい。厳しいですねぇ。
厳しい競争があるので他の塾生はライバル,けれども一緒に暮らすから他の塾生は仲間でもある。いい塾ですねぇ。だから全国から生徒が集まり優秀な人を輩出したのでしょうね。
この塾の名前は咸宜園(かんぎえん)。←なんと!一回で変換できる
漢字の意味を辞書で調べました。
咸の文字の意味は「みな。ことごとく。あまねく。 」
宜の文字には「よろしい。よい。」などの意味があります。
この2つの文字を合わせると,「みなよろしい,ことごとくよい」などという意味になります。
江戸時代と令和で時代は全く違いますけれど,通ってくれる塾生に対して「みな よろしい」という心構えで授業をやっていくことが塾の基本なのでは?と思っています。
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