2023/04/26
春秋に富む(しゅんじゅう に とむ)という言葉があります。
春秋とは季節のことではなく年月のこと。これからの年月が豊富にあるということです。年が若く将来が長いという意味です。
若くて,「将来が希望に満ちている」 という意味で使います。若い人に向けて使う言葉です。
私は以前 この言葉を高齢の方に向けて使ってしまったことがあります。
これからの年月に富んでいる という意味ではなく,今までの年月に富んでいる という意味だと勘違いしていたためです。
(高齢であることを言う場合は「春秋高し」と表現する)
あとで言葉の使い間違いを教えてもらい,非常に恥ずかしい思いをしました。恥ずかしいだけじゃなくヤバいと思いました。
お年寄りに向かってこの言葉を使ったら,下手をすると嫌味や皮肉に聞こえてしまうかもしれません。「ご長寿を願ってこの言葉を使ったのです!」などと言っても言い逃れできません。
意味や用法を確認することなく,覚えたての言葉を知ったかぶりで使ったために赤っ恥をかきました。
毎朝 起きたらすぐにストレッチをし,その後で有酸素運動をするようにしています。
心身の健康に気を使っているのは,自分自身の「春秋」を少しでも増やそうと考えているからです。
家にある本をまだ全部読んでいない。日曜日に本を買ってまた本が増えた。まだまだ知りたいことはいっぱいある。「ガラスの仮面」の結末も知りたいし。そのためには,自分自身の「これからの時間」を増やさねば。それには健康に留意することが必要だろう。
そう考えて,毎朝 1時間程度 その日の天気や自分の気分に合わせてウォーキングをしたり自転車に乗ったりしています。
毎朝 顔も名前も知らない,春秋に富む人々と会っています。私の運動の時間帯がちょうど通学の時間と重なるので,多くの小中高生とすれ違うということです。
運動が終わって帰宅し,食事,家事,準備をして本部へ。本部を仕事をして夕方になると校舎へ向かう。
夕方からは顔も名前もしっている,春秋に富む人々と会います。生徒の皆さんのことです。
若い人には若い人なりの悩みや苦しみはあるんでしょうけれど,春秋に富む人々を見ると,正直な話,うらやましく感じる。
豊富な春秋をいろいろなことに使っていけるということがうらやましい。
うらやましいという思いとともに,夕方から会う春秋に富む人々に対しては,責任の重さも感じています。
生徒の皆さんの長い「春秋」から考えたら桐光の北浜校に通うのはほんの数年という短さ。しかも授業が毎日あるというわけではありません。
(個別や自習に来てほぼ毎日のように会っている人が何人かおるけどな。受験直前期になると浜北区貴布祢493-9に住所変更したほうがいいんじゃないという人も出てくるけどな。)
生徒の皆さんの春秋に対して短い期間しか接することはないわけですが,子どものころに経験したことが大人になっても影響を与える場合もあります。だから責任の重さを感じます。
授業・個別・対策・教材・講習...をどうすべきか,毎日 運動をしながら考えています。運動しながらだと考えがはかどります。
大丈夫ですよ。周囲の道路状況を確認し身の安全を確保したうえで運動しながら考えていますから。自分自身の「春秋」を危険にさらすようなことはしておりません。
Copyright(C) 桐光学院. All rights reserved.