2025/02/27
技芸やスポーツでも基礎は重要です。実力がある程度のレベルに達していても,基礎を反復練習しないといけません。偉大なスポーツ選手でも芸術家でも,基礎を反復するところからその日の練習が始まるのではないかと思っています。
勉強は,自分の身体を動かすというわけではなく頭を使うので,基礎的な簡単なことをそんなにやる必要はないんじゃあないか,と思いがちです。
けれども,模試の社会の偏差値が70以上の生徒や学調で満点近くの生徒でも,知識の”穴”があったり,とんでもないミスをしたりすることがあったりします。少なくとも私が見ている範囲ではそうです。また,公立高校入試の場合,合否を決めるのは,難しい問題を解けるかどうかではなく,正答率の高い問題で自分が”やらかす”かどうか,であると考えられます。
ミスをしない人間はいません。「ミスに気をつけろ,見直せ!」と叫んでもミスをする可能性はあります。テストを受けているそのときは,それが正しいと思い込んでいる(答えはAなのにBが正解だと思い込んでいる)わけですから,自力で修正するのは難しいです。
そうならないために,毎日,一定時間は基礎の反復をする。どんなときにでも反射的に答えが出せるようにトレーニングする。そしてその後で,さまざまな応用問題を解いていく。それが必要だと思っています。そう思うので,基礎的な”トレーニング”をするための教材を渡しています。
火曜日にある生徒に言われました。
「基礎のトレーニングの教材をもう何周もしました。これと別のタイプのものはありますか。」
「ごめんね。”今は”ありません。」
この生徒は,社会で高得点が取れているわけではありません。そういうこともあって,最近,塾での自主勉は,社会を集中してやっています。本当によく頑張っています。以前とは勉強に取り組む姿勢がまったく違う。三国志に出てくる魯粛(ろしゅく)と呂蒙(りょもう)の逸話を思い出しました。
『呉下の阿蒙にあらず(ごか の あもう にあらず)』。魯粛は呂蒙と話をする中で,”もう君は,昔の君ではない”と呂蒙の進歩を褒めました。
今はもう,むかしの〇〇くんではない。頑張っているのだから,なんとかしたい。私は水曜日は休み。休みだから時間がたくさんある。そうだ,この生徒のために,新しいのを作ろう!
今日は木曜日。この生徒に渡すことができます。もちろん,コレが必要だという別の生徒にも渡せます。
こんなものを作ったからといって,意味がないという考え方もあると思います。けれども,そんなこたぁどうでもええわ。やりきったなぁという納得感と,そこからくる安心感をもって,この子が入試当日の朝を迎えることができればいい。この子だけじゃあなく,受験生の皆さん,そして私自身も。
それに,『呉下の阿蒙にあらず』と魯粛にその進歩を褒められた呂蒙は,「人間は三日もあれば成長する。だから,次に会うときは,目をこすって違う目で見ないとといけませんよ(士別三日,即更刮目相待)。」と答えたという話が残っています。
3日どころか,まだ6日もある。この6日で,ほんのちょっぴりだけだったとしても点数は上がり,それが合格につながるはずです。
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