2025/01/01
除夜の鐘が鳴り始めてしばらく経ったころ,自宅を出発して徒歩で見付天神まで。
Webサイトより引用〔一部改〕
当神社の正式名称は「矢奈比賣神社(やなひめじんじゃ)」といいます。主祭神は「矢奈比賣命(やなひめのみこと)」。御神徳は五穀豊穣・安産・子宝・子育て・縁結び等です。
相殿の「菅原道真公(すがわらのみちざねこう」)は、お天神様とも称されています。御神徳は、学業向上・受験合格・文墨上達等です。〔引用終わり〕
この歳でいまさら”縁結び”を願うなどということはいたしません。もちろん,”学業向上・受験合格”のために行きました。
徒歩で行くことにこだわりがあるというわけではありません。駐車場が満車になっていたら面倒だ,歩いていけばよい運動にもなるし,という考えがあったからです。
歩いて約40分で到着。
去年は1月1日のお昼ごろに行きました。そのときはかなり混んでいましたが,今年は行った時間帯が違うこともあり,それほど待たずにお詣りができました。
待っている間,受験生の一人ひとりのことを頭に浮かべました。こういうときに学籍番号は役に立つ,漏れがなくてすむ。卒塾生で大学等を受験する生徒のことも,私の把握している範囲で思い出しました。
ただ,それを拝殿の前でやっていると〔思い浮かべる人数が多いため〕時間がかかり,列の後ろの方々に迷惑がかかってしまいます。そういうわけで,
桐光学院に関係する受験生全員
のことを祈って参りました。
帰路,微妙に遠回りになるけれど,ココにも寄りました。一昨年も昨年もココに寄りました。ココを受ける生徒がいましたので。今年も受験する生徒がいますので今年も寄る。
遥か昔,御縁がありますようにということで,ココに五円玉を投げ込んだ”アホ”がいたそうですが,そのような迷惑行為を私はいたしません。
ちなみに,その”アホ”とは私の亡母のことでございます。”アホ”とは書きましたが,感謝はしております。受験生を持つ親の心とはそういうものなのかもしれません。
初詣で,祈ったけれど願ってはいません。
多くの人が様々な神社や寺院に行ってお願いをする。神仏はそのうちの誰を救ってくださるのか? それは人間にはわからない。わからないけれども,日々を懸命に過ごしている人間と,チャランポランにいい加減に過ごしている人間とがいたら,たぶん前者を救ってくださるのではないかと私は考えています。
”願い”は自分自身の努力で叶える。私自身は生徒の”願い”が叶うように全力を尽くす。だから神仏に願わない。やれることを全てやりきって生徒はもちろん私も,”心 穏やかに,身 健やかに”受験当日が迎えられるようにとお祈りする。
受験生は休みの日にもしっかり勉強していますよね。神仏には神仏のお考えがあって,誰を救ってくださるかを人間の力で推し量ることはできない。人知の及ばぬところで,もしも神仏に救われる人間がすでに決まっているとしたら,それは休みの日にも気を抜くことなく頑張っている人だと私は思っています。
実は行く途中で3回ほど家に戻りました。
1回目。この格好で行くべ。家を出て数分後。アカン,風が強いわ,ということでコートを取りに帰宅。
2回目。アカン,そういやヒゲを剃ってねえ!,そんな状態で初詣とかありえんわ,ということで帰宅。
3回目。アカン,財布を忘れたわ,お賽銭を払えんじゃん,ということで財布を取りに帰宅。財布を忘れるとかサザエさんかよ?と自分で自分にツッコミを入れました。即興でできた替え唄を歌いながら。「♪お詣りしようと 神社へ でかけたら 財布を忘れて 愉快なオッサン♪」。全然愉快じゃあない。
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