北浜校ブログ

2023/11/22

授業では別のモード 大田

昨日の個別授業で

中3の公民の授業では,学調の範囲を進めています。東中も北中も期末テストの範囲が縮まったので,期末範囲から外れたところで学調の範囲になっている部分が,教科書でいうと約10ページあります。今週の授業や対策授業でその部分をなんとかする。

昨日の個別授業で,前日にやった公民内容の部分の問題を解いている生徒がいました。バツの数が多い。「もう一度,ここの単元の内容を説明しましょうか?」と生徒に声をかけて説明することにしました。教室を一周して他の生徒を見た後で戻ってきたときに声をかけました。「さっきの内容はOKでした?」。さっきの単元の問題がだいぶ解けるようになっていました。

他の生徒から頼まれました。「昨日の授業の内容なんですけど,もう一度説明してもらえますか」ととっても申し訳なさそうに言われました。昨日の夕方の授業で聴いたばかりのことを次の日にもう一度最初から説明してもらうのを頼むことに気が引けたのでしょうか。

「なんで昨日の授業をしっかり聴いていなかったんだぁ~」などという言葉は出てこないし,そんな思いも浮かばない。

「お願いがあります。君の右側は壁です。そして私は右利きなので君の右側に座って説明したい。席を1つ左に移動してくだい。」

マンツーマンで説明をするときには”裏紙”を使います。裏紙に図や絵やキーワードを書いて話します。そのときに右利きの私の右側に生徒がいたら私の右手に視界が遮られて裏紙が見にくいと思いますゆえ,可能なときには生徒の右側から個別説明しています。

違うモード

北浜校に向かう車の中で音楽を聴いています。ブラジルの有名なボサノヴァ歌手(故人)の気だるい歌声を。自分自身も心地よい気だるさにつつまれる。そうなるとほとんどのことはどうでもよくなる。私生活のことも孤独感も。聴いているうちに「我(が)がなくなる」ような感じになる。

そんな感覚で校舎に到着し生徒の質問対応・対策授業・通常授業・個別授業をやると,日常生活とは違う”モード”に入る。どうやったら授業内容が伝わるのか,伝わったものを頭の中に記憶として定着させるためにできることは何か,そういうことのみ考えるというモードになる。そのためだったら何でもするというモードになる。「推し」(通ってくれている生徒は全員,私にとっての”推し”なのだ)のためならば何でもやりたいという気持ちになっている。

そういうモードになっているから,昨日の授業内容をもう1度説明し直してほしいと言われても,腹など立たない,お安い御用だ。我(が)などというものはない。も1度説明する中で,”説明の順序を変えよう” ”もう少し具体例を増やそう,具体例をもっと伝わりやすいものに変えよう” ”説明のときに使う図や絵を変えてみよう” と授業・説明のアイディアが浮かぶ。自分自身の勉強にもなっているのだから腹を立てる理由なんて全然ない。

だから生徒のみんなは,どんどん質問しないと損だ。

信じてはもらえないと思いますけれど・蛇足

このモードに深く入り込んだときにおきる現象。

生徒の問題演習を見て回る。生徒は問題のノートやA4の紙に書いている。その答えを見るときに1番最初に私の目に飛び込んでくるのが「間違った答え」。

「ああよかった,ここで見つけてよかった。テストでコレを書いたらバツだよ。直しましょう。」と生徒に声をかける。

心の声(なんでチラ見しただけなのに,このたくさん書いてある答えの中で間違ったところが1箇所だけだったのに,間違った答えがすぐに目に飛び込んできたのだろう。たぶん たまたま だな。)

こういうことが5人連続で起こったことがあります。個別授業だったので5人とも別々の問題を解いていたのにもかかわらず。これは不思議な現象。最近 これに近い現象が起こることがある。

たぶん,”モード”に深く入り込んでいたからだと思います。我(が)がなくなって”推し(生徒)”の点数が上げることに意識を集中するモードに。

 北浜校BLOG 一覧へ 
Page topPage top