2023/08/10
夏は受験の天王山(てんのうざん)
この言葉は私が受験生だったころから多くの人に何度も使われてきたフレーズです。現在もよく使われる言葉です。
多くの人が触りまくったせいで手垢がついてしまった物は,どちらかというとあまり触りたくはありません。好みの問題かもしれませんが,多くの人が使いまくって「手垢」がついたような言葉や表現も同様にあまり使いたくありません。
それにもかかわらず使ってしまう「夏は受験の天王山」という言葉。「手垢」がついているように感じているのにもかかわらずなぜ使うのか? それは,この言葉が真実だと思うからです。
中学の歴史の教科書には次のようなことが書いてあります。「秀吉は,明智光秀を倒して織田信長の後継者となり,大阪城を築いて全国統一の拠点としました。(ここまで歴史の教科書)
秀吉と光秀は,現在の京都府の山崎というところで戦ったため,この戦いのことを山崎の戦いと言います。その付近にある天王山という山をどちらが先に取るのかというのが戦いのポイントとなったとされています。この山を占領できれば戦いが有利になり,この戦いに勝った者が天下を取れる。そのため,重要な局面・場面のことを比喩的に「天王山」と表現します。「天下分け目の天王山」などと表現されることがあります。(歴史の研究によると,実際には天王山の争奪戦は行われていないというのが通説だそうですけれど)
この場所を取ったら勝てるという場所,ここが勝負どころという意味で”天王山”は使われています。朝から夜まで,基本的には自由に使える時間が多い夏休み。夏休み以降は,平日 こんなにたくさんの時間を勉強に費やすことが難しくなります。そういう意味で夏は受験の天王山と言えるでしょう。
本能寺の変があったのは6月2日。秀吉は6月3日に本能寺の変のことを知る。このとき秀吉は中国地方の戦国大名の毛利氏と戦をしていました。ただちに毛利氏と和議を結び,5日には京都方面に向けて出発。多くの兵士や武将を率い,敵(毛利氏)の領地から帰りながら光秀との戦いの準備をし,味方を増やすための工作をする。13日には明智軍の2倍以上の軍勢を集め,山崎で戦う。
「天王山」までの準備がしっかりしていたから戦いに勝てた。秀吉の戦の仕方は,戦までの準備が素晴らしい。戦う前にしっかりと準備し戦うときにはすでに勝っているという状態になっている。天王山で勝ったというよりも天王山までで勝っている。
受験に関しても同じようなことが言えると思います。「夏は受験の天王山」ということで,受験生は夏に頑張らないといけない。実際,頑張っています。以前とは勉強への取り組みが少しずつ変化してきている子,大きく変化した子,人それぞれですが頑張っています。「天王山」で戦っています。
中1生や中2生に言いたいのは「今のうちから少しずつでも勉強の習慣をつけていったら,来年,再来年の夏はどうなりますかね?」ということです。天王山で戦うことも大切ですけれど,天王山までの準備をしておけば,より勝ちやすくなりませんかね?ということです。
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